戦国時代から続くソラの母屋 「できた物がほんまに美味しい」

磯貝 勝幸さん・ハマ子さん(つるぎ町)

三木枋集落にある磯貝さんのお宅には標高約400m余り。山の上の家なのに、「磯貝」という海を思わせる名字は不思議ですが、「ここの先祖さんが、神奈川県の三浦半島から移住してきたわけですよ」とハマ子さん。過去帳を見ていくと400年以上前のご先祖様が移住して来られたとか。勝幸さんは、「この集落へ一番最初に入ったきとるけに屋号は『母屋(おもや)』というんです。ジイさんの親が(曽祖父)、ここいらの年貢を集めて、脇町まで刀を差して納めに行っきょったんじゃけん」と教えてくれました。
ここでの暮らしは、年間を通じてたくさんの作業があります。冬の間は干し大根や干し芋などの干し物、味噌やきなこ飴などの加工品づくり。春が近づくとごうしゅいもを植え、野菜類の種まきや苗作り、植え付け。夏が近づくとたかきび、あわ、こきびをまき、お茶摘みも。やがて小豆、大豆、そばを作り、秋には裸麦、干し柿作り。合間にカヤを刈ってコエグロを作り畑に敷く―。
「百姓百品って昔の人が言うように、大体の物は作る。ここでできた物は何でも美味しいん、キャベツからにんじんから、みんな」とハマ子さん。
勝幸さんによると、畑にカヤを入れる効用は素晴らしく、水をやらなくても雨が降るだけで土に湿り気があるとのこと。
「カヤを畑に入れるからカラカラに乾いたことがない。昔からの知恵じゃ。」
磯貝さん宅では体験型教育旅行も受け入れていて、都会からの修学旅行生と農作業を通じて交流しています。「農家に興味を持つ子供を育てていかないかん」と、この素晴らしい世界農業遺産を継続することが大切だと力を込めて話してくれました。

磯貝さんの畑で採れたみずみずしい野菜。ほぼ自給自足で生活している。

家の目の前にある畑で、少量多品目の作物を育てる。